「テクサン」のささやかな思い出

投稿者: | 2021年3月31日

双信電機のSEコンデンサーの生産終息が伝えられ、それと時期をあわせるかのようにテクニカルサンヨーのHPも見れなくなりました。

今日はちょうど月末でしかも年度末。過ぎ来し方を少し振り返ってみましょう。
今を去る数十年前の、「テクサン」の思い出話。
「テクサン」の店舗は五階百貨店前、岡本無線前と移りましたが、創業は今のシリコンハウス共立のあたりではなかったでしょうか。

それがどこか、今はぼんやりとしか思い出せませんが、確か階段を上がった2階の、奥に細長く、北向きの窓からは淡い光も差し込むこじんまりした店構えだったように思います。

当時の日本橋電気街には多くの部品屋さんが並び、その中にあって新興の「テクサン」は、常に他に先駆けて話題の商品を品揃えしようとする、意欲的で活気が感じられる店でした。
ずっとあとに「おばちゃん」と呼ばれるおねえさんは30代前後だったでしょうか、店番をしていました。
ある年の暮、私は何人ものお客に交じって、ショーケースを眺めていました。
双信のケースマイカに1個数万円の値札が付いていましたが、私が金田式アンプに入門するのはだいぶ先ですから、その時は値段に感心しながら見ているだけです。

しばらくすると、スーツ姿の若い男性がやってきて、店の奥のおねえさんと笑顔で話しはじめました。
なんとなく聞こえてくる話から、男性はどうやら双信のセールスマンで、この年末商戦で双信も好業績を収めたことのお礼を述べに来たらしいと分かりました。
そんな話を聞いていると、無関係なこちらもなにか豊かな気分になりました。

おねえさんもセールスマンも店のお客も、そして私もみんな若く、日本橋電気街も人で溢れかえっていた時代のお話です。

「テクサン」での買い物で思い出深いものは、発売されたばかりの2SK43(その時はランク6しか手にいれられませんでした)を数十本買ったことです。
今でも部品箱に残っているK43、印字も赤で足も金メッキされていて現在手に入るものとはだいぶ様子が違います。

「テクサン」の実店舗は最後は岡本無線前に移り、若かったおねえさんは「おばちゃん」になり、かかってきた電話に「はいテクニカルです」と応対する声も今となっては懐かしい。
「おばちゃん」、お元気ですか。