中国西安旅行

投稿者: | 2019年10月30日

いつかはと思っていた西安の旅が今月中旬にようやく実現しました。
3泊4日の小旅行ですが、兵馬俑、大雁塔を実際に眺めることができました。
実は10数年前にも一度予約しながら、仕事の都合で出発直前にキャンセルしたことがあり、その頃の思い出もよみがえる旅でした。

兵馬俑1号抗

修復を待つ俑の列

2号抗

将軍俑

土に残る筋目は屋根として渡していた木材の跡。発掘前の状態がよく分かります

3号抗

司令官たちが立ち並ぶ司令所のようです

銅車馬館(銅馬車ではなく)


このあと土産物屋に立ち寄りました。
兵馬俑抗を発見した楊兄弟の末の方が店頭に座り、解説本にサインしていましたので、記念に一部買い求めました。

始皇帝陵博物館

陵の頂上が奥に僅かに見える

場所を変えて撮影

9901陪葬抗

秦代に俑を運び入れた際のわだちの跡とか

三蔵法師ゆかりの興教寺。額に康有為の署名が

唐三蔵塔

西安市内をとり囲む明代城壁の西門(安定門)

地図上の左に西門

城壁の上にはこんなに広くて長い道が

餃子を味わった徳發長

ライトアップされた鼓楼

鐘楼
今日の歩数は約2万歩

玄宗と楊貴妃の故地、興慶宮

興慶宮遺跡の一角に建つ阿倍仲麻呂記念碑
2004年10月に西安市内の工事現場から「井真成」銘の墓誌が発見されたと伝えられました。
研究では、井真成は717年(養老元年)に阿倍仲麻呂などの遣唐使とともに留学生として渡唐したとされています。
阿倍仲麻呂と同様、帰国することなく中国でその生涯を終えた留学生も多くいたことでしょう。

空海ゆかりの青龍寺には日本風の庭園が

空海記念碑

大明宮丹鳳門(復元)
大明宮は、唐太宗貞観八年(西暦634年)に建てられ、唐高宗から唐代歴代の皇帝はここに住んで政務にあたり、唐の政治と文化の中心地となりました

大明宮国家遺跡公園
面積は3.5平方キロメートルに達し、ニューヨーク中央公園とほぼ同じ広さ。現在、発掘が済んでいるのは1%ほどで、すべての発掘を終えるのに少なくとも200年かかると予想されています。

小雁塔

大雁塔(大慈恩寺)

塔の1階の南面には褚遂良「雁塔聖教序」がはめ込まれています

塔内の狭く急な階段を7階まで登ります

南を望む

西を望む。はるか彼方にはシルクロードが

北を望む

東を望む

塔内には経巻の複製が。塔内は近代の修復によるのかコンクリート造になっていました

唐代の建物はこの大雁塔と小雁塔を残すのみ
今日の歩数は約1万6千歩

シルクロードを目指す隊列のモニュメント

漢代の未央宮遺跡

ここも何もなく広々とした空き地がひろがるのみ

万葉集に「采女の袖吹き返す飛鳥風都を遠みいたづらに吹く」と、今では廃墟となった旧都に立って昔の華やぎをしのぶ古歌があります。
この歌の趣きは大明宮遺跡や未央宮遺跡になく、その広大さにただただ圧倒されるばかりでした。